2024年7月13日(土)13:30—18:50(⽇本、韓国時間) (周六)12:30―17:50(中国时间)
場所: 明治大学リバティータワー15階1152教室
司会:郭南燕(明治大学)
13:30-14:10
(中国)
12:30-13:10
<韓国に伝わった土山湾の書籍と作品に関する初歩的調査>
李容相(韓国・又松大学)、崔英修(又松情報大学)、南ソラ(韓国教会史研究所)
私たちの初歩的調査によれば、土山湾の出版物で、韓国に現存する書籍は約80冊あると推定されている。韓国教会史研究所では75冊、ソウル大学図書館では2冊、高麗大学図書館では1冊、嶺南大学図書館では1冊、東国大学校図書館では1冊所蔵されている。土山湾工房による作品もある。例えば、1888年、シャルトル聖パウロ修道女会は、フランスから出発して、朝鮮に赴く途中、上海に滞在し、必要な物品を購入していたことがわかる。その時、購入した聖具と聖像の製造者は土山湾工房だろうと推定している。この初歩的調査の結果を紹介して、みなさんのご参考に提供したいと思う。
有关传入韩国的土山湾书籍及圣器圣像的初步调查
根据初步调查,目前保存在韩国的土山湾出版的书籍共有80册。韩国教会史研究有75册,首尔大学图书馆有2册,高丽大学图书馆、岭南大学图书馆、东国大学校图书馆各有1册。在韩国也有土山湾工艺院的产品。举例说,沙特尔圣保罗修女会于1888年离开法国赴朝鲜时,在上海滞留,并购买了圣器和圣像,可推测这些圣器和圣像是在土山湾制作的。本发言将初步调查的内容告诉大家,以供参考。
14:10-14:40
(中国)
13:10-13:40
<日本長崎市大浦天主堂所蔵の燭台、その他資料について>
島由季(大浦天主堂キリシタン博物館)
大浦天主堂キリシタン博物館にて展示中の燭台が、土山湾作品カタログのものと似ている旨の情報を本プロジェクトのメンバーからいただき、採寸、写真撮影などを行った。この燭台および他収蔵資料について、十分に調査はできていないが、現時点での情報を報告する。
日本长崎市大浦天主堂收藏的土山湾制烛台及其他资料
最近从本研究课题的成员中得知长崎市大浦天主堂天主教博物馆的陈列品之一的烛台与土山湾目录中的产品相仿,我便对此进行了测量和摄影。目前的研究还只是初步的,暂且把目前掌握的陈列品内容报告给大家,仅供参考。
14:40-15:10
(中国)
13:40-14:10
<パリ外国宣教会のド・ロ神父の収集した土山湾の木版画(1860年代〜1870年代)>
郭南燕(明治大学)
パリ外国宣教会のド・ロ神父の書簡によれば、1878年から1879年までの間、神父は精力的に土山湾の木版画(ヴァスール神父図案)を購入していた。その直後に大浦天主堂境内内で制作された「ド・ロ版画」10枚は土山湾作品に基づいたものである。この収集は早くも1869年ごろから始まったことは、ド・ロ神父が石版で印刷した『玫瑰花冠記録』(約1871)の図案が、『玫瑰経図像十五端』(1869)の土山湾図案を模倣したことから推定できよう。ド・ロ神父の収集した木版画は、現在確認できるのは32点である。ここから、ド・ロ神父が日本宣教において、土山湾作品をいかに参考していたのかを考えることができる。また、これら32点は、ヴァスール神父が1865年から1868年まで制作した約150種の木版画の1/5を占め、もはや中国で現存しない早期の土山湾木版画の一斑を示すことにもなる。
巴黎外方传教会德罗神父收集的早期土山湾版画(1860年代至1870年代)
根据巴黎外方传教会的德罗神父寄往上海的书信,可知他在1878年至1879年期间购买了不少土山湾版画(皆为范世熙神父的图案),成为了他在大浦天主堂主导制作的“德罗版画”(十幅)的样本。其实,约在1869年德罗神父已开始收集土山湾木版画,因为他石印出版的《玫瑰花冠記録》(约1871)模仿了土山湾的《玫瑰经图像十五端》(1869)的图案。德罗神父收集的土山湾木版画现存32种,从中可推测他在日本传教中,如何参考了土山湾木版画。这32种占范世熙神父于1865年至1868年制作的约150种木版画的五分之一,使我们可窥早期木版画一斑,因在中国这些早期木版画已很少存在了。
15:10-15: 20
(中国)
14:10-14: 20
休憩
15:20-16:00
(中国)
14:20-15:00
<ヴァスール版画からド・ロ版画へ:建築空間と人物身分>
鄭巨欣(中国美術学院)
ヴァスール版画とド・ロ版画は、同じくカトリック教理の「四終」をテーマとする。しかし、宣教対象者が違う。ヴァスール神父は中国人を対象とする内容を構想したが、それを模倣したド・ロ版画は、日本人を対象とする。似ているテーマと構図ではあるが、それぞれの内容と含意が異なる。
从范世熙版画到德罗版画的建筑空间属性和人物身份的再确认
同样都是表现“万民四终”主题的天主教教理版画。因为传教对象不同,范 世熙构想出了面向中国人的版画,德罗模仿范世熙版画,构想出面向日本人的版画。但是,在相同形式的背后,又各有内容的取舍和深意。
16:00-16:40
(中国)
15:00-15:40
<近代版画史における「ド・ロ版画」― 聖なる世界と「浮世」 >
白石恵理(関西外国語大学)
上海の土山湾工房製の図像をもとに制作された「ド・ロ版画」を、本発表ではキリスト教美術の文脈とは別に、幕末から明治の日本の版画制作の歴史に照らして検討する。その制作の背景には、江戸期に長崎で版行されていた「長崎版画」から、幕末の横浜開港以降盛んに作られた「横浜浮世絵」および明治初頭に東京で流行となった「開化絵」や新聞錦絵までの流れと一脈通じるものがあるのか否か。また、とりわけ多く描かれている日本の女性・男性の髪型などに注目し、浮世絵の美人画などとの関連性についても考えてみたい。
日本近代版畫史上的“德羅版畫”:神聖世界和“浮世”
“德罗版画”是模仿土山湾工艺院的图案的,在本发言中,我将从日本江户末期至明治时代的版画制作史来探讨“德罗版画”的特性,看其是否具有同“长崎版画”(制作于江户时期的长崎)、“横滨浮世绘”(江户末期在横滨开港时盛行)、及明治初期在东京流行的“开化绘”和“新闻锦绘”的相同处。也将注重画中日本女性和男性的发型,考察其是否同“浮世绘”的美人画有关。
16:40-16: 50
(中国)
15:40-15: 50
休憩
16:50-17:20
(中国)
15:50-16:20
<土山湾印書館刊行書籍の日本における収蔵リストの作成> 小野正弘(明治大学)
土山湾刊書籍が日本に与えた宗教的、言語的、科学的影響に関する研究にこれから取り組む第一歩として、土山湾印書館刊行書籍が、どのように日本に収蔵されているのかのリストを作成することを考えた。具体的には、まず、日本の古くからある大学、また、国立国会図書館の所蔵リストに、どのような書籍が掲載されているのかを調査し、著者・図書名・よみ・刊行年・版(第何版か)・分野(地理・基督教など)・使用言語(中国語、フランス語など)・所蔵館等を整理する(まだまだ萌芽的なものではあるが)。
有关日本收藏的土山湾印书馆书籍的目录制作
为了研究土山湾书籍对日本的宗教、语言及科学带来的影响,我考虑首先应该制作日本收藏土山湾书籍的目录。即从日本的历史悠久的大学的藏书目录和国会图书馆的目录中,选出相关书籍,表明作者、书名、刊发年、版本、内容分类(如地理,基督教等)、语言(中文,法文等)、及收藏地点等。
17:20-18:10
(中国)
16:20-17:10
<長崎県五島地方の久賀島の細石流教会堂と上海土山湾工房の彫刻(1)―長崎の教会堂における建築装飾の象徴的意味について―> 小倉康之(玉川大学)
建築分野(7月)と彫刻分野(本年11月)の2回に分け、細石流教会堂の建築装飾と上海土山湾工房の彫刻について、図像学と様式史の方法論に基づいて考察する。
7月の口頭発表では、細石流教会堂の復元的考察を行い、建築装飾のシンボリズムに関する仮説について述べる。その上で久賀島潜伏キリシタン資料館所蔵、上海土山湾工房の彫刻について、9月に現地調査を行い、歴史上の定位と造形上の特質を明らかにしたい。
久賀島(長崎県五島列島)に建設された細石流教会堂は、木造、三廊式、T字型プランの建築であり、折上天井と植物モティーフ(花柄・葉飾り)の建築装飾を特色としていた。鉄川与助の設計・施工により、1920年頃に竣工したが、1969年に廃堂となり、現存しない。本発表では、細石流教会堂とよく似た中ノ浦教会堂(五島列島・中通島、1925年献堂)と比較しながら、写真などの画像資料に基づいて考察する。
鉄川与助や久賀島の信者が上海土山湾工房の彫刻をどのように受容し、それは建築の空間構成および装飾プログラムとどのように関わっていたのかを明らかにすることが本研究の目的である。
长崎五岛列岛久贺岛的细石流教堂与上海土山湾工艺院的雕塑(1)―关于长崎地区教堂的建筑装饰的象征性―
我将从图像学和样式史的方法论来探讨细石流教堂的建筑装饰和上海土山湾工艺院的雕塑,本次发言注重建筑,在今年11月的研究会上将注重雕塑。
今天,对已倒塌的细石流教堂做一个复原性的考察,对其建筑装饰的象征性做一个假设。长崎县五岛列岛中的久贺岛曾建有细石流教堂,木结构,山廊式,平面T字型的建筑,其特色是以折叠天花板和植物主题(花和树叶)为建筑装饰。此建筑是铁川与助的设计和施工,1920年左右竣工,1969年废堂,目前已不存在。我将之同相似的中之浦教堂(五岛列岛中通岛,1925年竣工)进行比较,根据照片等图像资料来进行考察。
今年9月,我将对久贺岛潜伏天主教徒资料馆收藏的土山湾圣像雕塑进行调查,确定其历史定位和造型特征,从而探讨铁川与助及久贺岛的信徒是如何接受土山湾的雕塑,雕塑同教堂的空间结构和装饰计划有什么关系。
18:10-18:50
(中国)
17:10-17:50
<耶蘇にさらわれた碩学 土橋八千太師の生涯とその学術研究> 李梁(弘前大学)
土橋八千太神父(1866―1965)は長く上海に滞在し、徐家匯で教育を受け、佘山天文台の責任者を担当したことがある。日本では、数学者、天文学者、漢学者、そしてイエズス会神父、上智大学第三代目総長(1940−1946)として世に知られているが、「専攻の学問についての発表以外は先生の死とともに、総てが消え去ってしまった」(近藤成一「土橋八千太先生の追憶」『声』1965年8月号)といわれる。それのみならず、師の生涯についても、謎めいたことが多いだけでなく、日本内外における記述が不一致や不正確な点が多いようである。本発表はとりあえず、師の生家(長野県諏訪市)の踏査によって得た情報をもとに、生家と通った小学校の現状、特に当時平田国学の雰囲気の中で、なぜキリスト教に入信したのかという謎解きを試みたい。今後は師の上海時代、ひいてはパリ時代の足跡を追いながら、彼の学問について検討しようと考えている。
被耶酥掳去的一代宿儒土桥八千太神父的生涯及其学术研究
土桥八千太(1866-1965)长期生活在上海,在徐家汇接受教育,並担任佘山天文台的负责人。他作为数学家、天文学家、汉学家以及耶稣会神父、上智大学第三代校长而为世人所知晓。有人说,除“有关专业研究业已发表的成果以外,随着先生的逝去,其所有一切皆消失殆尽。”(近藤成一“追忆土桥八千太先生”《声》1965年8月号)。不仅如此,实际上有关神父的生涯,也是疑团重重,日本内外有关此点的既有记述,也颇多舛错,疑团重重。本发表暂且根据对神父诞生地及其出生之家的现状(长野县诹访市)的田野调查所获的资料及其所见,试图破解神父出生之家的谜团以及学习过的小学现状,尤其是为何在具有平田国学的思想环境之中,何以信仰起基督教(天主教)的谜团。今后要进一步追寻神父上海时代,甚至巴黎时代等的足迹,深入探讨其学术及其意义。